1: :2016/03/28(月) 07:42:12.286 ID:
昔は農民なら一生農民をするしかなかった今の考えからすればそんなの嫌かもしれんが
当時はそれ以外の生き方があるという発想すらない
辞めるという選択もないので葛藤もしない
ただ仕事に身を委ねていれば生きていけた
夢に挑戦するチャンスはないが、失敗して挫折感を味わうこともなかった
社会は果たして進歩したのか
20: :2016/03/28(月) 08:37:44.111 ID:
たまーにちびでグズで、みんなから馬鹿にされている農民とか出てくるけど
(お伽話だから最後に大逆転したりするわけだが)
第一次産業以外何もない生活って、結局のところ人間関係がエンターテイメントになるんじゃないか?
>>1で言ってるような葛藤とかしちゃうような奴は、DQNのおもちゃになって一生を終える気がする
3: :2016/03/28(月) 07:44:18.328 ID:
地元で食っていけないやつが江戸に集まってその日暮らし
武士たちも仕官しなきゃいけないがほとんど三品役人ばっかだったし
常に餓死の危険性があった
4: :2016/03/28(月) 07:45:23.969 ID:
13: :2016/03/28(月) 08:00:51.401 ID:
生きるのに必死だと、生きること自体を目標とすることができる今は物質的に豊かで、飢餓感はない代わりに
何かを見失っているような空気が社会を覆っている
30: :2016/03/28(月) 09:12:23.042 ID:
何か贅沢な悩みだなぁ
俺なんか底辺だからけっこう必死に生きてるし、
福祉社会ってありがたいよ?
46: :2016/03/28(月) 10:29:06.213 ID:
いや、俺も生活が豊かなわけではないぞ
餓死しない程度には生きていけるという意味だただ将来が見えるというわけでは全くない
例えば農民なら、年老いてもここで畑仕事をしているんだろう
という未来が見えるだろ?
俺はそうした展望もなく、
ただ漠然と先の何十年という時間が横たわっているだけだ
長生きが必ずしも幸せでないと言うのはそういう理由だ
47: :2016/03/28(月) 10:32:13.654 ID:
でもその畑仕事だって凶作に悩まされるぞ
同じことを来年できるかなんてわからな
6: :2016/03/28(月) 07:48:19.781 ID:
今の方が幸福に思う出来事は多かっただろうけど昔の方が不幸に思う出来事は少なかったろうな
10: :2016/03/28(月) 07:51:27.123 ID:
特権階級の武士が米デフレの原因分からず貧乏暮らししてるの笑ってただろうな
12: :2016/03/28(月) 08:00:39.110 ID:
16: :2016/03/28(月) 08:08:27.927 ID:
19: :2016/03/28(月) 08:27:56.523 ID:
つながるよな
23: :2016/03/28(月) 08:55:35.717 ID:
現代でも他人から見ればどう考えても恵まれてて幸せに見えるのに凄く苦しんでる人もいる
他人から見て貧しくて不幸に見えても本人は幸せと感じてる場合もある
25: :2016/03/28(月) 09:07:40.308 ID:
41: :2016/03/28(月) 10:06:40.104 ID:
確かに生まれた瞬間から差別され続け
そこを抜け出せないというのは大きな苦しみだろうただ、チャンスがゼロというのは、
ある意味、救いでもあるんじゃないか?
それはそういうものだと諦めがつくからだ
今は建前上は「チャンスは平等」だが
実際には家庭環境、才能、運、見た目、時代など
色んな不平等があるだろ?
それでもスタートは同じですよ、ということにして
失敗したらそいつの責任になるわけだ
成功者ってのはごく一部だろ
失敗して、打ちひしがれるやつのほうが多い
1%の希望を見せることが、
かえって人を苦しめることもあるんじゃないか?
42: :2016/03/28(月) 10:07:59.028 ID:
Copyright © 2016 まとMETAL All Rights Reserved.
http://ift.tt/1qljzUU
0 件のコメント:
コメントを投稿